本屋王子 

良く行く本屋がいくつかあって、そのうちの一つ、C書店としよう。
そこには王子がいる。

見た目からして自分より、若そうな、もしかしたら学生なのかもしれないけれど、とにかく“王子”とか“貴公子”とかそういう言葉が似合いそうな顔かたちをしている。どこか中性的で、性別を超えてしまった印象がある。

仕事帰りや休日にC書店に立ち寄るが、店内レジで見かけると「今日は王子がいるんだな」と心の中だけでつぶやく自分がいる。いつの頃か“本屋王子”と恐れ多くも勝手に名付け、勝手に崇めてしまうのだ。店員だから、店に客が入れば「いらっしゃいませ」と声に出すが、またその声まで爽やか。どれだけあなたは生ける芸術なのですか。天は二物も与えてしまった。

昨日は休日で、C書店が入っている小規模なショッピングセンターに買い物へ行ったのだが、特に欲しい本はなかったものの本屋の定期巡回という個人的なことでC書店に足を踏み入れた。レジには本屋王子。王子なのに労働しているというのもおかしいけれど、一般的な書店員の白シャツにエプロンという制服姿も凄く似合ってしまう。こんな土曜日なのに働かせてしまってすみませんという気持ちもあるけれど、働いている姿も目の保養になるので結果的にありがとうございますと心でつぶやいた。

特に買いたい本があった訳ではないけれど、本屋王子がいる時は何か買わなければ、何か買いなさいとどこからか、脳内からか、天からの声か。命令が下る。一通り店内を一周してみて、本当に欲しいものがなかった時は無駄遣いも嫌な性格なので買わずに帰るが、昨日の場合は目に留まるものがあった。本の紹介を書いたいわゆるPOP付きの本で、そのPOPはどうやら手書きのもののよう。イラストは無しで、字のみで小さな看板はできあがっていた。文章を読んで、内容に興味をもったのだが、もう一つ気になったのが字体だった。それはちょっと形の良くない下手な・・・いや、下手なんて言ってはいけない、味のある字だった。中学生男子が書いたのかと思った位で、このC書店はそういえば男性の店員は本屋王子しか見たことがないということで、非常に安直だけれどこの字の持ち主は本屋王子だ、という結論に至った。

そもそも書いたのが女性である可能性だってあるはずなのに、見た目が王子なのに字は下手という意外性のあるキャラ付けを脳内で勝手に行ったが故の思い込み。もしかしたら、本屋王子が紹介したのかもしれない・・・この本は文庫本で比較的安価で、内容も興味があったから購入することにした。

一方で本屋王子は、レジで本を探す中年男性の対応中であった。欲しい雑誌があるようで、男性はあれやこれやと話すのだがちょっとわかりづらい。本屋王子もちょっと困惑した様子で、私はこの時初めて彼の苦笑いの表情を見た。というのも、これまでこういった現場に居合わせたことがなく、レジを打っている姿しか見たことがなかったからだ。

このような現場を目の当たりにしてふと感じたのが、そういえば私は今まで会計の際に本屋王子の顔をまっすぐ見たことがないということだった。多少距離のある場所から見たことはあるけれど、会計の、距離が近い場所で見たことはない。この客気持ち悪いな、とか思わせてしまったらどうしようという不安から、いつも顔から下のお釣りやレシートを持つ手のひらとか、レジに置いてある美術館の割引チケットとか広告等に視線をやってしまう。せっかく近距離に行けるのだから、見た方がお得だ、という謎の感情から、今日こそはまっすぐ見ようじゃないかという宣言を心の中で行った。

そうしてレジに進み、初めて顔をまっすぐ向けて会計を済ませた・・・。笑った顔が優しそうだった。ようやく近くで顔を見ることができたものの、その輝き、眩しさに圧倒され何秒かで目をそむけてしまったけれど、そこで思わぬ収穫が。目をやった先にネームプレートがあって私は初めて本屋王子の本名(苗字のみ)を知った。本屋王子とか、貴公子っぽいとか、天上人とか、勝手に思っていたけれど、やはり人間でした。

自宅に帰ってから、レシートを見ると本屋王子の本名が印刷されている。案外普通の名前で、綾小路とかそういう珍しいものでもなく、妙に親近感が湧いた。いつもはレシートなんて、家計簿をつけたらゴミとして処分してしまうのだけれどこのレシートは記念に取っておきたくなってしまったのは何故だろうか。この一日の出来事の記念として、本屋王子の名前を忘れてしまわないようにも、本屋王子を遠くから眺める庶民の一人として引き出しにしまっておこうと思った。
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